にこ日々へようこそ(管理人にこのプロフィール)
HSPに関する本の感想を書いているときに「HSP」を検索する機会がありました。
検索窓に「HSP」を入力し、スペースを入れたところ
検索候補に「HSP うざい」というお言葉が……涙
ショック…。
まぁ、ショックを受けていてもしょうがない。
変わり身はやっ!!
気持ちを切り替えて、いろいろな記事を読んでみました。
記事の中には、なるほど納得!の「うざい理由」がありました。
そして思うところもありました。
「HSPだから◯◯」はそりゃ「うざい」
(※ おもに他人との場合のはなしです)
「私(僕)は、HSPだから◯◯なんだよねぇ~」
「私(僕)は、HSPだからあのとき傷ついた」(と突然の報告)
「私(僕)は、HSPだから◯◯しちゃったのもしょうがないよねぇ~」(よくない行いに対しての言い訳)
HSPを「うざい」と思うかたは、たいがい「HSPだから◯◯」という「攻撃」や「言いわけ」にうんざりしているようです。
これに関してはたしかに
「うざい」
の納得です。
そんなこと言われても
知らんがな
ですよね。
はっ?だから?
と思われてもしょうがないです。
そもそも私が読んだ本には
- 自分を知り、自分なりの対策を考える
- たくさんの考えかたや思考を知る
ことで「前向きにラクに生きよう」というようなことしか書かれていなかったハズ。
「HSPだから◯◯」と言って、他人に理解や変化を求めるのは横柄すぎます。
自分のことをとても大切に思ってくれている「家族」などは別(でいいよね)
限界はあるかもしれないけど、理解する努力をしてくれるはず。
「HSPだから◯◯」はそりゃ「うざい」うざいけども
「HSPだから◯◯の押しつけ」はそりゃ「うざい」です。
だけど、だけども「相手が苦手としていることは、汲んであげてもいいんじゃない?」という気持ちもあります。
子どもが苦手な食べものを、無理矢理たべさせるようなことはしたくない。
それと同じように、苦手を教えてもらったら、できるだけ回避させてあげたいと思うんです。
多分「HSPだから◯◯」という「攻撃」や「言いわけ」をいきなり食らったから、汲みたくもなくなったんでしょうけどね。
やっぱりコレ
「HSPだから◯◯」という「攻撃」や「言いわけ」
は、罪深いってことか…。
#HSPの人とつながりたい#HSPあるある
私も初めて知ったのですが、ツイッターなどで「#HSPの人とつながりたい」や「#HSPあるある」のハッシュタグをつけて、HSP仲間(?)と交流している人もいるようなのです。
これを「うざい」というのは
ほっといてやれば?
と思うのです。
いいじゃん。
そうやって交流して「私だけじゃないんだ」「同じ感覚の人がいるんだ」って安心できる人だっているんだから。
それが気に食わないなら、見なきゃいいだけのこと。
なので、これに関しては言うことがありません。
「自称 HSP」という言葉
「自称 HSP」という言葉があります。
おそらく
「HSPだから◯◯」という「攻撃」や「言いわけ」ができるような人は
「本当にHSPなのか?」=「自称 HSP」
なんじゃねぇ~の?ってことなんだと思います。
だけど、そもそも「HSPは病気じゃない」し、診断がつくものじゃありません。
診断がつかないんだから、みんな「自称といえば自称」
だから「自称 HSP」なんて言葉を目にしたら
私のこと??
と気にしてしまう人もいそうです。
気になったのよぉ
言いたいことはわかるのですが「自称 HSP」はあまり好きな言葉ではありません。
結局「くくり」が大きすぎて、多くの人を傷つけるからです。
HSPだからうざいのではなく「HSPを振りかざすうざい人がいた」だけ
いろんな記事を読んでみてわかったのは「HSPの人がウザい」のではなくて「HSPを武器にして振りかざすウザい人がいた」だけってこと。
だからもし批判するなら「自称 HSP」なんて言葉は使わず、例えば
- こういう人がいた
- その人はやたらと「HSP」を振りかざしてきた
- この人はウザかった
のように、表現してくれると傷つく人は減るのではないかと思うのですが。
そんな風に思った今日この頃でした。
おしまい。